オモウコト

あなたが体験した、今まででもっとも鮮烈な音の記憶はなんですか?

by しの

「音の記憶」ってなんだろう。おそらくそれは、楽譜を暗記しているというわけでもなければ、絶対音感があってどの音が「ド」なのかわかるという意味でもない。たぶん、思い出や印象に強く残っていて、頭の片隅にでもずっと残り続けている音という意味なのだと思っている。

少し前のある日、わたしは自分の部屋の大掃除をしていた。たくさんある荷物を整理し、本棚の片付けに取り組んでいたとき、2枚の少し端っこの折れた原稿用紙がちょこんと顔を出していることに気がついた。開いてみると、それは、昔自分自身が記した「音の記憶」についての小論文だった。

遡ること3年前の冬、わたしは高校3年生で大学受験の年を迎え、入学試験のための勉強をしていた。第一志望の学校は、とある美大の新しく設立される学科で、入試が行われることが初めてのため過去問と言われるものがなく、試験対策のできないわたしは心底頭を悩ませていた。そんなときに、学校側から与えられたサンプル問題の小論文にひときわ目を引くテーマがあった。

それが、「あなたが体験した、今まででもっとも鮮烈な音の記憶はなんですか?」というもの。

そのサンプル問題に対して、時間制限などを設けて本格的に小論文に取り組んだことはなんとか覚えているのだが、肝心のその内容がぼんやりと記憶の中でも遠いところに行ってしまっていた。当時のわたしは一体何を考えていたのか、なんとなくの記憶しか残っておらず、その答えを知ることももうないのだろうと思っていた。ところが最近になってその小論文がハラリとわたしの元へ帰ってきた。読むしかなかった。

冒頭何行かを割愛するが、その小論文の一節でわたしはこう綴っている。

ある演奏会でのことだ。私たちが舞台に上がり、今までつくり上げてきたものを観客の前で披露する、ただそれだけのことだと思っていた。だが、実際に曲の最後の音を吹き、指揮者のタクトが下がり、反響した音がホール全体に響き渡るとその様子は一変した。残響が消えるより早く観客の方々の拍手や歓声が一度にあがる。
どこにでもあるただの演奏会のただの1シーンに私は思いきり心を打たれたのだ。誰もがきっと一度は経験するであろう拍手というものに私はこの上ない感動を覚えた。
Written by Shino.

たった800文字という短い小論文であったが、当時のわたしが考えていたことがよみがえり少し心温まる気がした。高校時代の一節を吹奏楽に捧げていた当時のわたしにとっては、観客のみなさんからもらう拍手が「鮮烈な音の記憶」として残っていたようだ。

今のわたしなら、どんな「音の記憶」に耳を傾けるだろう。今なら、数え切れないほどたくさんある。紙に文字を書く音、ページをめくる音、タイピングの音だって好きだし、なんでもない街中の音を録音してイヤホンで聞くことだってある。

当時と今のわたしとでは根本はあまり変わりないものの、3年間という月日の中であらゆる状況が変化した。18歳だった頃のわたしに話をしたとしても信じてもらえないような経験だってたくさんしたし、それがとてもいい形で今につながっているのだと感じる。

それでも、昔のわたしの感じていたことだって大切にしたい。今のわたしが昔のわたしを無下にしないように、同じく、昔のわたしが今のわたしの大切な道標であってくれたことをこっそりと胸に置いておけるように、自分を大切に生きていきたいなと思うのであった。

音を含め、芸術という分野に存在するものは「言葉にできない感情を表現する手段」と称されることがある。しかし、私は言葉にできない感情はないと考える。言葉にできないのなら芸術評論家などという職は意味をもたない。芸術は、言葉とはまた異なった表現の方法である。私の中で拍手というものは感動の表れであり、それが最も表現者に対して観客側が表現することのできる満足度の明確な表れなのである。
Written by Shino.

(ここで引用している文は筆者の当時の個人的見解です)